2012年



ーー−8/7−ーー 夏休みの自由研究


 
夏休みということで、小学生の自由研究などという言葉がラジオから聞こえた。それでふと、長女がやった研究を思い出した。

 娘の研究のテーマは「長野県の市町村のシンボルマークを調べる」だった。何故そのようなテーマを選んだかは、今となっては分からない。恐らく何かのきっかけで、そういうものに興味を抱いたのだろうと、想像する。

 研究の手順は、まず全市町村のマークと、その説明文を入手する。そして、図柄の特徴を分類し、デザイン的な傾向を調べる。同時に説明文の中からキーワードを拾い出し、どのような趣旨でマークが作られているかを調べるというものであった。

 全市町村のマークをどのように入手するかが、ポイントであった。それは、電話帳に載っていた。その当時の地域別の電話帳には、各市町村のマークが、説明入りで記載されていたのである。我が家には中信地域の電話帳しかなかったので、NTTの営業所に出向いて、県内全地域の電話帳を求めた。目的を説明すると、こころよく応じてくれた。そこらへんは、私が手助けをした。

 娘はマークのコピーを取り、説明文のキーワードと共に一覧表にした。そして、図柄に関する特徴や傾向について分析し、さらにキーワードを分類、整理し、どのような言葉が多く使われているか調べた。

 図柄に関する傾向については、もはや私は覚えていない。しかしキーワードの方は、その結果が印象に残った。多く使われていた言葉は、「発展」や「躍進」などであった。反対に「友愛」、「平和」、などという言葉は、ほんの一部の、しかも小さな町村にしか見られなかった。行政が目指すものが、シンボルマークにも表れている。それがはっきりとした傾向をみせていたのが、興味深かった。

 なかなか面白い研究ができたと思った。これなら、何かの賞が取れるのではないかと予想した。しかし、学校側からは何の評価も無かった。夏休みの自由研究は、理科の分野でやるのが一般的で、そうでないものは評価されないらしい。ありふれた理科の研究で、やる前から結果が分かっているようなテーマでも、小奇麗にまとめられていれば、優れた研究だとみなされるのである。

 その後しばらくして、ある若者と雑談をしたときに、この自由研究の話になった。若者は、「その研究は、大学生のレベルのように思います」と言った。




ーーー8/14−−− 中高年登山の危険


 7月の鹿島槍ヶ岳登山で気を良くした我が家は、第二弾として燕岳から常念岳への縦走を試みた。大天井岳のテント場を利用した、一泊二日の幕営山行である。二日間とも稀に見る晴天に恵まれ、予定したコースを踏破できた。しかし、内容は危なかった。

 二日目、横通岳から常念小屋へ下る辺りから、家内が遅れ始めた。常念小屋に着いたらぐったり疲れていたようで、常念岳山頂の往復は止めようかなどと言い出した。それでも気を取り直して、空身で登りにかかった。山頂に着いたら、全く元気が無く、顔色も悪かった。小屋までの下りでは、何度も休んだ。疲労困憊と言う感じだった。このままでは、常念小屋から一ノ沢の登山口まで、およそ4時間の下りは無理だと思われた。緊急措置として、小屋に泊ることも考えた。

 前の晩、テントの中で一睡もできなかったそうである。そのために体調が悪く、疲れたのだと家内は言った。私は、脱水症状ではないかと思った。以前自分が経験した脱水症状とよく似た症状だったからである。小屋でスポーツドリンクを買って飲ませた。十分な水分を取りながら、食事をした。1時間以上休んだら、多少回復したようだった。元々家内と私のザックの重さには大きな差があったが、さらに荷物を移した。それで下山することにした。

 途中、こまめに水分を取りながら、ゆっくりと歩いた。相変わらず調子は悪そうだったが、なんとか下山を終えた。登山口の建物が見えた時は、正直に言ってホッとした。

 家内は、若い頃は山で疲れなど見せたことが無かった。数年前から再開した山登りでも、元気だった。先月のテント泊りの山行でも、問題無かった。日ごろ運動やトレーニングは行ってないが、庭仕事をよくやるので、それなりの耐久力はあるはずだ。軽い荷物で、ゆっくり歩けば、今回のコースは無理の無いものだと思われた。装備のほとんどは私が負担し、自宅を出る時のザックの重さは24キロだった。バテるなら私の方かも知れないと思ったくらいである。その家内がこんな状況に陥って、少なからず驚いた。

 体調を崩した原因は何だったのか。睡眠不足だと家内は言うが、何故眠れなかったのか。また、本当に寝ていなかったのか。高所のテントの晩は、眠れないことがよくある。それが過剰に意識されることもある。昔ある山行で、一人の若者が「昨晩は全く眠れなかった」と言ったが、同じテントに泊った者は、彼はいびきをかいて寝ていたと証言した。

 ともあれ、睡眠が上手く取れなくて体調を崩したことは、考えられる。それが、脱水症状に結び付いたのか。そこら辺の因果関係は分からない。私は過去の登山において、夕方酒を飲み過ぎて、翌日歩きながら脱水症状に陥ったことがある。今回の家内は、そのような明白な原因は考えられなかった。ただ、行動中にトイレを心配して、水分を控えめにするという、女性ならではの傾向がある。強い陽に照らされた前日の行動で、そもそも体の水分バランスが崩れていたのかも知れない。

 若い頃と違って、この年齢になると特有の問題が生じる。眠れない、あるいは眠りが浅いということも、年齢的な要素が大きい。私も、寝付きこそ良いが(酒を飲むから)、夜中にいったん目が覚めると、再び眠りに落ちるのが難しくなった。若い頃には考えられなかった事である。中高年登山者の中には、睡眠導入剤を使っている人も多いと聞く。山の上は気圧が低いので、薬の効きが良いから注意が必要だとの話もあるくらい、一般的に使われているようだ。

 また年齢を重ねると、多かれ少なかれ、体のどこかに問題を抱えている可能性がある。ようするに、長年使ってガタがきているのである。それが、日常生活では気が付かなくても、山の上で肉体に大きな負荷をかけると、出てしまう。日ごろ運動をしていない人は、なおさら負荷や環境の変化に対応しにくいだろう。山で見かける中高年登山者の中には、いささか無理な行為に身を投じているような印象を受ける人も多い。そういう人は、無事に帰ってこれる事を幸運と感じるべきである。

 かく申す私も、まさに中高年である。日ごろトレーニングをしているとはいえ、体のどこかに問題を抱えている可能性も有る。それが登山行動中に、突然現れて身を縛る危険も考えられる。山の上は、下界と違って、何かトラブルが起きたら、急激に破局へ至る恐れがある。天気が崩れれば、さらに困難さが増す。

 中高年登山は、十分に慎重な行動を心がけるべきだろう。しかしながら、若い頃から登山をやっている者は、そこらへんの意識が薄い。今回の家内も、昔の元気さを、無意識のうちに引きずってきた感がある。経験者は、昔出来た事が、今でも出来るような錯覚に捕らわれ易い。そのような者が、同年代の人を誘って登山計画を立てる。危険の種は増殖する。中高年登山者が抱える、特質的な危険の一つと言えよう。

 アメリカのグランドキャニオンにあるトレッキングコースでは、しばしば疲労困憊、脱水症状による事故が起きているとのこと。その入り口の看板には、注意事項がいろいろ書いてあるが、中に「若い頃登山をしていた人ほど危い」という警告があると、聞いたことがある。
 



ーーー8/21−−− オリンピック中継の疑問


 ロンドンオリンピックが終わり、ある人のブログに感想が述べられていた。その中に、メディアの異様な過熱ぶりが指摘されていた。ニュースの時間に、冒頭からオリンピックの話題を流し、しかも大半の時間を割いたために、重要なニュースが報じられなかったと批判した。さらに、日本人選手を絶叫で応援する「絶叫アナウンサー」には、極めて不快な印象を抱いたと書いていた。英国BBCはとても淡々と放送していて、日本の放送局と較べ、あまりの印象の違いに驚いた、という現地からのコメントも交えていた。ブログ作者は、この違いを「国家、社会の成熟と未成熟の差」と分析していた。

 そこまで言ってしまうのは、ちょっと厳しいようにも思う。民族性の違いというものがあり、東アジア圏の民族はとかく熱しやすく、言動も過剰で騒々しい。それに対して、欧州の高緯度地方の人々は、落ち着いていて、喋り口も穏やかである。その違いが、報道のやり方の差に出てしまうこともあると思う。もっともそれを成熟と未成熟の差と位置付けるなら、その見方にも一理あるかも知れない。未熟な子供は騒々しく、成熟した大人は物静かなものである。

 私は会社員時代、今から二十数年前だが、イギリスへ出張した折に、ホテルのテレビでウインブルドンの試合を見たことがある。テニスの試合の内容より、まず印象に残ったのは実況放送のスタイルであった。日本と同じように、アナウンサーと解説者がいるのだが、二人ともめったに喋らない。アナウンサーは、たまに状況を整理して述べるくらい。試合中に「サービス入りました」とか「おっとダブルフォールト」とか、「これはネットにかかりました」などの説明を一切しない。解説者にいたっては、ほとんど無言。好プレーが出た時にようやく、つぶやくように「素晴らしいショットだ」と発するくらい。だから番組はとても静かで、ポーン、ポーンというラリーの音だけが響いていた。それがむしろ臨場感を与え、試合の緊張が伝わってくるようだった。

 テレビだから、見れば分かる。サービスが入ったとか、ダブルフォールトをしたとか、ボールがネットにかかったなどという事は、画面を見ていれば自然に伝わって来る。そのために、テレビで観ているのだ。アナウンサーが状況を一々述べる必要は無い。にもかかわらず、我が国の実況中継はどうだろうか。どのジャンルのスポーツ中継でも、番組側が無理やり押し付けるような、まるで解説の洪水、騒々しい言葉の羅列が実態だ。視聴者は、アナウンサーの達者な喋りのパフォーマンスを聞きたくて、チャンネルを合わせているわけでは無いのに。

 大切なのは、ありのままの映像を、見た者がそれぞれにどう感じるかという事。それに反して、「こう感じなさいよ」と言わんばかりの誘導をするのが、絶叫アナウンサーの姿である。スポーツ番組ならまだ良い。これが報道番組全体を貫いている姿勢だとしたら、まさに未熟社会のそしりを免れないだろう。およそ70年前の出来事を、よもや忘れたわけではあるまいに。




ーーー8/27−−− 「木の匠たち展」を終えて


 松本市内でのグループ展「木の匠たち展2012」が終わった。多くの来場者を迎えて、盛況だった。私はたまたま前回(二年前)と同じ展示室だったが、このいささか見過ごされがちなスペースにも、前回を大きく上回る人数の来客を数えた。人数だけでなく、来客の反応というものも気になるところだが、その点でも手応えがあった。

 前回の私は、出品数が多すぎて、散漫な印象になってしまった感があった。そこで今回は作品を絞り、インパクトのある展示を試みた(下の画像)。それも功を奏したように思う。作品の前にたたずむ人たちの様子を見て、「響いた」という印象を受けた。

 今回は、14名の作家が参加した。このグループ展は、元々は「木の匠たちー信州の木工家25人の工房から」という本に載った作家が集まって発足した。ところが、一回目が終わったらメンバーの一部が去ったので、本に載っていない木工家に声を掛けて、数名を補充した。私もその補充組である。

 私は、自らの性格から来るものかも知れないが、初対面の人と親しく付き合えるまでに時間が掛かる。特に同業者となると、いろいろ気を使う面があり、なおのこと距離が縮まらない。このグループ展の人間関係においては、特に上に述べたような経緯があったので、当初はかなり居心地が悪かった。それでも、回を重ねるうちに少しづつ気心が通じるようになった。

 個人作家の集団となると、とかく自分本位で気難しく、協調性に乏しい人がいるものである。ところがこのグループ展のメンバーは、皆さんとても気さくで感じが良い。展示品の搬入、搬出の際などには、自発的に協力し合う。重いものを持つのは、自分の作品でも嫌なものだが、平気で他人の手助けをする。そんな感じだから、集団としての行動が、実にスムーズである。趣味のお付き合いならまだしも、仕事の関係の集団でこのような利他の精神が見られるのは、珍しい事だと思う。これというのも、自分の仕事にプライドを持ち、自らの世界を確立した作家たちの、成熟した人柄がなすものだろう。

 というような感想を、懇親会の酒の席で調子良く述べていたら、向かいに座っていたある作家が、「大竹さん、あなたの考え方は善良過ぎる」と言った。どういう意味だったのだろう?























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